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六車由美&赤坂憲雄トークイベント「介護民俗学」

2015-09-27
その他
六車由美と赤坂憲雄のトークイベントに参加した。六車の新著『介護民俗学へようこそ』(新潮社)の刊行の一環として行われたものだが、対談の内容に関しては、正直言ってそれほど目新しさは感じなかった。ただ、六車の元上司である赤坂が、彼女の変貌ぶりに涙ぐんでいた様子が印象的であった。山形時代(東北芸術工科大学東北文化研究センター)の彼女は、『神、人を喰う』(2003)でサントリー学芸賞を受賞し、気鋭の民族学者として学内を闊歩していたという(赤坂の表現によれば、「肩パッドを入れていた」)。その彼女が突如大学を辞し、福祉の世界に身を転じたのは、結局のところ、民俗学者として限界を感じ挫折したからだという。そして、『驚きの介護民俗学』(2012)によって再び世の注目を浴びた時、赤坂は彼女に「再び大学に戻らないか」と誘った。しかし、今回の新著を読んで、福祉の世界にしっかり根を下ろしている彼女の姿を見て、もはやそれは言うまいと思ったそうだ。『驚きの介護民俗学』の頃は、まだ民俗学者としての片鱗を覗かせていたが、新著においては、民俗学のノウハウを自家薬籠のものとし、福祉のプロとしての新境地を切り開いている。この点について赤坂は、「民俗学を超えた」と評している。
介護民俗学について一言触れておこう。現在、認知症高齢者の中には、民俗採取(聞き取り)が可能な最後の世代が含まれており、福祉の世界に入りたての彼女は、かつての関心から、高齢者と会話する際、昔の地方の生活や職業に関する聞き取りを自然と行っていた。その結果、彼らの話の中には、未発見の風習などに関する貴重な知見が含まれていることに気づいた。そして高齢者の方も、自分の昔話に熱心に耳を傾けてくれる相手ができたことに喜び、介護実践の点からも有益であった。そのとりくみを集大成したのが『驚きの介護民俗学』である。
その後キャリアを積んだ彼女は、民俗学への未練を断ち切り、純粋な介護ツールとしてこのノウハウをさらに発展させた。赤坂の涙の裏側には、このようないきさつに関する複雑な思いがあったのであろう。事実、六車のスライドを交えた事例紹介の中では、民俗学者の面影は完全に払拭されていた。
対談終了後、参加者の質問の中で、介護従事者と思われる者から、自分は民俗学の知識を持ち合わせていないので介護民俗学を実践することは難しいのではないか、といった発言があった。しかしこの時赤坂は、それを即座に否定した。たとえ、民俗学的な知識がなくても、高齢者に人生を振り返ってもらうことは可能だと述べ、六車もそれに頷いていた。
しかし筆者は、このやりとりに若干の違和感を覚えていた。確かに民俗学的知識がなくても、過去の振り返りを促すことは可能であろう。しかし、筆者が想像するに、六車と高齢者の会話の中で、彼女が昔話に強い興味を示し、それを深く受け止め、さらに広げていくだけの知識があったからこそ、思い出話に花を咲せることができたのではなかろうか。噛み合った会話を展開させるためには、受け手の側にもある程度の知識が必要であり、その意味で、民俗学的知識は軽視されるべきではない。かといって、ヘルパーや介護職員に柳田國男や宮本常一を読ませるというのも現実的ではない。せめて戦争に関しては、養成課程の中でもっと学習が奨励されるべきであろう。
もう一つ、六車の実践は、あくまで個人的な立場から高齢者と向き合ったものと考えられる。今日、介護現場では、効率化の波が押し寄せ、サービス内容の均質化・無個性化が進んでいる。すなわち、ヘルパーや介護職員たちは、食事介助やオムツ交換等の作業をテキパキとこなすことに追われ、利用者の話に耳を傾ける時間はほとんど許されていない。したがって、介護における人間関係も、次から次へと交換されていく部品のように、名前のない没個性的なものとなりつつある。
しかし少なくとも障害の分野では、もう少し個人的な人間関係が残っているようにも思える。これは、介護保険法と障害者総合福祉法という異なった法律に基づくことに加え、事業を担う自立生活センター(CIL)が、アメリカの障害者運動(自立生活運動)の流れを汲むことにも一因があろう。実態や背景が異なるので単純に比較することはできないが、サービスの均質化は必ずしも不可避ではない、という点だけは強調しておきたい。
個人として振舞うことが厳しく制限されている中で、独自のスタンスを貫くことはそれほど容易なことではない。しかし、措置から契約へという介護保険法の趣旨からすれば、介護市場が均質化され、多様性が失われることはけして望ましいことでない。各事業所が創意工夫を凝らし、様々な取り組みが行われてこそ、この制度が目指す本来の姿があると言えよう。この意味からも、六車の独創的な実践は大いに評価されるのだ。

余談だが、対談の中で、採取(聞き取り)に話が及んだ時、赤坂が、突然故人である吉本隆明に対して怒りをぶつけだした場面を、筆者は興味深く眺めていた。かつて赤坂が民俗採取に熱心だったことに対して、吉本は、嘘や作り話を聞かされるだけで無意味だと、揶揄するような発言をしたらしい。それに対して赤坂は、たとえそれが作り話だったとしても、採取の意義に変わりはないと反駁したという。
実は筆者は、昔、赤坂と吉本の確執に関するある噂を聞いたことがある。もう四半世紀も前のことになるが、赤坂は一度吉本と対談したことがある(『天皇制の基層』、1990)。駆け出しの若手研究者が、いわば大御所の胸を借りるという企画だったと思われるが、予想に反して、赤坂は吉本を完膚なきまでに論破してしまう。しかし、校正刷りの段階で、吉本はそれを糊塗すべく膨大な赤字を入れてきた。赤坂は、吉本の卑劣な行為に対して、何の文句も言わなかったという。今となっては確かめる術はないが、もしこれが事実だったとすれば、吉本の中傷も、この一件に関係があったと推測される。赤坂の人柄をうかがわせるエピソードであるが、彼もまた研究者の世界には馴染めず、それゆえにこそ、別世界にいさぎよく身を転じ、そこで生き生きと活躍するかつての部下の姿が、まぶしく目に映ったのではなかろうか。


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